逝く


”意識がなくなりましたので、ご家族は病院へ・・・”

午前6時前に病院から電話が入る。

10月一杯で別の病院へ転院せねばならず、紹介状に添付する資料用に受けた検診結果が芳しくない。
24時間心電図モニターが装着された。カリウムの値が悪いので、いつ心停止してもおかしくないと。
更には血小板の数も減少、健常者は5万、成分輸血が必要になるのは2万以下。
父の数値は2万8千。非常に出血しやすい状態で、脳内で出血した場合は死亡する可能性が高いとの説明。
この数値では転院出来ない。

病床の父の右目は腫上がり閉じたまま。左目は開いているものの、瞳は視点が定まらないのか
左右に揺れていた。勿論問いかけに返答はない。

”恐らく脳内で出血したものと思われます。ただこの容態でCT検査を行うと、それが原因となって
急変する可能性がありますので・・・。” 脳内の出血箇所を特定したところで、回復する見込みはない。
如何に安らかな最期を迎えさせられるか。

急変に備え、家族が分担して24時間の付き添いが始まった。
CEOの担当は23時〜翌朝6時。寝袋を持ち込んでは見たものの
頻繁にずれる酸素マスクを直したり、血圧や心拍を記録したりで一睡も出来ない。

隣の病室からは末期癌の書道家の叫び声が響く。
”誰かいないのか〜、看護婦さ〜ん、事務員さ〜ん、医院長〜、背骨とってくれ〜”

迷惑千万、”死ねばいいのに”(ダウンタウン浜田風)と思った。
翌朝病院にクレームを入れ、次の夜は静寂に包まれた。(恐らく鎮静剤か睡眠薬を盛ったのだろう)
その翌日はまた騒がしかった。”死ねばいいのに”とマジで思った。
一晩おきに喧しい。4日目の夜、”死ねばいいのに”と何度も思った。

5日目の朝、親父が死んだ。

前の晩、20時から2時まで兄のシフトだったが、日付が変わる頃に血圧がどんどん低下。
明け方あたりヤバイかも、と兄にシフト延長を申し入れた。
褥瘡(床ずれ)の腐敗臭が酷く、医療用消臭剤を撒きながらの徹夜となった。

耳元ではもう何度も”がんばらなくていいよ”と囁いたものの、父には完全に無視された。
尿が止まり、腎臓の機能停止を知る。開かれ、乾き、角膜がボロボロに剥がれた両目の白目は
黄目に変わり、肝臓もダメだとわかる。見るに耐えず、ガーゼを湿らせ両目を隠す。

30分置きに血圧が自動的に測定され、警告音が鳴り響く。
危篤直後は看護師が飛んで来ていたが、いつしかそれもCEOが止める方法を教えられていた。

6時15分、寝坊した弟がやってきた。顔は浮腫み、紅潮していた。こいつが死ぬのでは?というほど
今までに見たことのない表情だった。経過を説明、悪臭立ち込める中、朝食の弁当を食べる弟。

10時間付き添った兄、7時間のCEOはフラフラになりながら家路についた。
自宅に戻り、兄はすぐベッドへ。CEOは小腹が減ったので昨晩買ったが、病室で食べられなかった
サンドイッチを頬張る。

歯を磨いていると、母起床。経過説明をしている時に電話がなった。弟である。
”心臓の状態が良くないので、家族は病院に集まるように看護師に言われたんだけど”

兄を起こしに行くも、”俺はもういい”。  CEOも同感であった。自宅待機。
妹夫婦を起こし、母を病院へ連れて行くよう頼む。

家に残ったところで、この状況では眠れるはずも無い。
ただ何となく”間に合わない”との胸騒ぎがあった。


数十分後、弟から電話。  ”親父、もう死んだよ”。  涙声だった。


母も妹も間に合わなかった。家業を継いだ弟だけを、死に目に会わせた。
継がなかった長男、次男(CEO)に対するメッセージである。

金曜日が友引なのと、ここのところの急激な寒さのせいか、斎場は一杯。
結局死後5日間、我が家で熟睡することになった親父。
2年以上に渡り、3ヵ月毎の転院を止む無くさせられたのだから、
のんびりしたかったのであろう。


糖尿病、慢性腎不全、脊髄小脳変性症、白血病・・・
”1リットルの涙”の主人公と同じ病、本田美奈子と同じ病。
親父、タイムリー。

16年前、オーストラリアへ旅立つCEOを成田まで見送り、搭乗前に握手した親父の手は
分厚く、でかかった。棺桶の中の手は冷たく、小さかった。

”たわむれに 母を背負いてそのあまり 軽さに泣きて 三歩あゆまず       石川啄木”


ウェリントンから南へ渡るフェリーに乗る数日前、父は会社で倒れ後頭部を強打し、硬膜外血腫。
1年後、再会した父はヨボヨボだった。それから入退院を繰り返し7年の闘病生活、お疲れ様。

昭和18年8月7日、”嫌、やな日”に生を受けた親父は
平成17年11月16日、”いいな、いい色”の日に、この世を去った。


享年62歳。

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父は今年2月で65 顔のしわは増えてゆくばかり 仕事に追われ この頃やっと ゆとりが出来た
父の湯飲み茶碗は 欠けている  それにお茶をいれて 飲んでいる 湯飲みに映る 自分の顔を じっと見ている
人生が2度あれば この人生が2度あれば・・・
母は今年9月で64 子供だけの為に年とった 母の細い手 漬物石を 持ち上げている
そんな母を見てると 人生が 誰のためにあるのか わからない 子供を育て 家族のために 年老いた母
人生が2度あれば この人生が2度あれば・・・
父と母がこたつでお茶を飲み 若い頃のことを話し合う 思い出してる 夢見るように 夢見るように・・・
人生が2度あれば この人生が2度あれば・・・ Oh 人生が2度あれば この人生が2度あれば・・・ この人生が・・・

井上陽水 人生が2度あれば
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読み終わったら親父が死んでしまうかも、と中断しているリリーフランキーの東京タワーは未だ完読出来ずにいる。




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