虎ファン



東京で生まれ、東京で育ったCEOは幼い頃からジャイアンツのファンだった。

1978年のオフに1番好きだった小林繁という投手が”江川問題で阪神にトレード。
(明石家さんまがモノマネをして有名だった。)
江川の外見が嫌いだったのでショックは殊更大きかった。
長島が”優勝できないから”と巨人を事実上解雇されたのが1980年。
その後しばらく野球に興味を持たなかった。
この時、正力、渡辺恒男など読売の悪党どもが嫌いになる。

数年後何かのきっかけで,、トレードされた小林のその後を知った。
阪神にトレードされて1年目、初めての巨人戦に先発。
4−3で勝ち投手になった。結局この年、22勝9敗で最多勝投手に。
(うち巨人戦は8勝0敗)

右投げ右打ちなのに左打席に立ち、試合後のインタビューで
”巨人のピッチャーなんて左で十分”と発言。(堀内は激怒したらしいが)
右投げ投手が左打席に立つと右肘が投手側に向き、デッドボールが
命取りになる可能性がある。しかし”巨人の投手には右肘に当てられる
コントロールはない”と。

”小林カッチョエ〜”と、タイガースファン(アンチ・ジャイアンツ)になったのである。

高校生の頃は背中に”R.BASS 44”と書いた黄色いサテン地のハッピを着て
球場の内外でヤンチャをしていた。(若気の至りである)
都ホテルまでバースのサインを貰いに行ったこともあった。
未だに”神様、仏様、バース様”なのだ。

1985年、実に21年ぶりでセリーグ制覇、その後日本一に。
伝説の”バックスクリーン3連発は未だに脳裏に焼きついている。

高校卒業後は1度も”球場”と名の付く所へは出かけていない。
(その後に出来た東京ドームすらも未経験)
18年間で10回最下位でも愛着は変わらなかった。
また21年かかるだろうと思っていたので、マジックが10を切るまでは
一抹の不安が常にあった。心臓に悪い球団である。

私利私欲だけで球団を運営しているとファンは確実に減る。
今回、ナベツネが原の首を切ったら更に減るだろう。
”原クンが辞めるときは、オレが辞めるときだ”
お前が先に辞めろ!バカたれ。

監督就任1年目で優勝したのに翌年低迷で解雇なら
1980年の長島と変わらない。
松井がメジャーへ行ったら日本の野球は終わりだと言っていたが
諸悪の根源だと気づかないお前が終われって。

星野仙一曰く”現場をバカにしている”

あのジジイの首を朝青龍にテッポウでへし折ってもらいたい。
世界人類にとって不要な人物の代表、金正日と渡辺恒雄。
道路公団の藤井にしてもそうだが、バカは権力の座がお好きなようだ。

”憎まれっ子、世に憚る”(Ill weeds grow apace.)。か


SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送