自由


連日のように若者の関係する事件が報道されている。
学校崩壊という言葉が聞かれるようになって久しい。
原因は子供ではなく、教師の側にあるのは間違いない。
そう思うようになったのはあるインタビューを見てからだ。

新米教師への問い。”教師になったきっかけは?”
”金八先生にあこがれて・・・”

これが崩壊の原因としか思えない。
確かにある意味”理想的な”教師像かもしれない。
生徒から信頼され、様々な問題に周囲の人々の理解と協力を
得て、解決していく。

しかし、金八先生はあくまで”フィクション”だ。
小山内美江子(原作、脚本)の頭の中の世界での話しなのだ。
幼い子供が”大人になったら仮面ライダーになりたい”という
メンタリティーと同じである。
ランボーを見てM60をぶっ放されたらたまらない。

マニュアル人間はドラマのストーリーどおりの事件が起これば
台本どおりに行動しようとするのだろう。
しかし現実には同じ状況のハプニングなど何ひとつ起きないのだ。
慌てても遅い。動揺した教師は生徒からナメラレる。
事態は悪化し、更に別の事件が起きる。ここでゲームオーバー。

若者を招いたテレビの討論番組でのこと。
ある男子高校生が”なぜ人を殺してはいけないのか?”と発言。
大人のコメンテーターは満足な回答をできなかった。

有名大学を出ている大人がこのザマである。
原因を考えると彼らにモノを教えた教授、教師に問題があるのではないか?

学校でまず教えなければいけないのは”民主主義国家における自由”である。
指導要綱などどうでもいい。
自由とは?と聞くと”何をしてもいい”と答える輩が大勢いる。
彼らは学校で自由の意味を教えてもらえないから答えられないのは当たり前。
彼らの教師もまたその恩師から教えてもらっていないから教えられるはずもない。

民主主義国家における自由とは、”人に迷惑をかけてはいけない”
”人の嫌がることをしてはいけない”、この”最低限のルール”を守った上で
法治国家として法律の許す範囲内で”何をしてもいい”。
これが自由なのだ。

もちろん”言論の自由”、”信教の自由”などもこのルールに則っていなければ
ならない。オウム真理教の教義が信教の自由に当たらないのは当然なのだ。
好き勝手な記事を週刊誌に載せ、”報道の自由”を主張するマスコミも
もう一度”民主主義国家における自由”を学ぶべきだ。

教師に教える力がない以上、家庭で親が教えるしかないのだが・・・
その親達も教えてもらっていないのだ。

そもそも民主主義というのは自らの手で勝ち取らねばならないのだが
わが国はアメリカにプレゼントされてしまったため、ただなんとなく民主主義国家を
装って来てしまった。そのツケを今、払わされているのかもしれない。
(天皇制を残したままの民主化はアメリカの壮大な実験と思えてならない)

哀れなり。

”再放送を放送禁止にする自由”はないのだろうか?

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