アブ・ニダル



2002年8月16日、”最後の大物テロリスト”アブ・ニダルが死亡した。
場所はバグダッド。イラク政府の発表によると死因は”自殺”。ピストルを咥えて引鉄をひいた、と。
アブニダル・グループ(ファタハ革命評議会)はイラクの情報機関によって暗殺されたとコメント。
アメリカ政府は”頭部に4発の傷がある以上、自殺とは考えにくい”とコメント。

暗殺説の理由として、”イラクの敵国クウェートやサウジアラビアの諜報部員と連絡を取ったことが
イラク側に漏れ粛清された”、”テロリストを殺すことで反テロ政策をアピール”などがある。

僕の見方は、近々起こるであろうアメリカによるイラク再攻撃の理由にさせない為ではないか?だ。
過去のアメリカの開戦理由は真偽を別にして、”見て見ぬふり”か”でっちあげ”である。
イラクがアブ・ニダルを匿っていることを理由に”テロ支援国家”と定義され、再攻撃の口実にされないよう
にイラク政府が先手を打ったのではないか?
既に65歳の老いぼれテロリストでは、過去の実績やネームバリューを考えても百害あって一利なし。

果たして、今度の再攻撃は何をきっかけに始まるのだろうか?

アブ・ニダル: 本名サブリ・アルバンナ。アブ・ニダル=”闘争の父”の意。
1937年5月  パレスチナに生まれる。
1957年     PLO主流派ファタハに加入。
1969年     スーダンのファタハ幹部就任。
1970年     ファタハ代表としてイラク駐在。イラク・バース党に傾倒。
1974年     ファタハ脱退、アブ・ニダル・グループ(ファタハ革命評議会)をバクダッドに設立。
           PLOの欠席裁判で死刑判決。イラクから資金提供を受ける。
           シリア軍の下、ベカー高原にて軍事教練をメンバーに行う。(テロリスト養成)
1982年6月  駐英国イスラエル大使襲撃。これをきっかけにイスラエルがレバノンへ侵攻。
1983年     イラクから退去命令、シリアのダマスカスへ。
1985年12月 ウィーン、ローマ両空港で銃撃テロ、138人死傷。
1986年9月  カラチでパンナム機ハイジャック、20人死亡。イスタンブールのユダヤ教寺院襲撃、22人死亡。
1988年7月  ギリシャで遊覧船襲撃、107人死傷。
1987年     シリアから退去命令、リビアへ。
1991年     PLO幹部殺害教唆。
1998年8月  エジプトで拘束と米紙報道。
1998年12月 イラクへ(?)

関連組織(別称):黒い9月、アラブ革命評議会、アラブ革命旅団、社会主義ムスリム革命組織



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